思い出は遠く彼方、回顧録は超特急。
芋煮ナイトあけての最終日。
お父さんに100回くらい「早くしろっ」って言われながら化粧をして
若松観音寺近くにある我が家イチオシの蕎麦処「長寿庵」へ行きます。
そして春夏秋冬いつでもイチオシの山菜蕎麦(温)を
理恵ちゃんにもムリヤリ注文させて、
「おーいしーでしょ〜!? おいしいね〜!!」 と言って感激を誘い、
縁結びで有名(らしい)な若松観音でお参りをして(実績はとくにない)、
神社仏閣巡りが好きだという暗い趣味をもっている理恵ちゃんのために、
一旦我が家へ戻ったあと故郷イチオしの建勲神社へ行く事になった。
建勲神社は小さな頃から通っている近所の神社で、
事ある毎に(花見の季節や初詣で)お参りしてきた場所なのに、
建勲神社(けんくんじんじゃ)という呼び名が
正式には「たていさおじんじゃ」だったって事にはじめて気がついた。
さらに初めて中に入って初めて神主にはなしをきいて
故郷が二万石の町であり、金欠である事を知った。
ビールコップ一杯でも、そして4時間以上経っていても、
やはり飲酒運転は飲酒運転であり、それはいけない事なのだというを悟り、
飲酒運転の何が怖いかって言ったら
私の命より、隣に乗せている友達の命より、
何よりもビールを飲んだその場にいたお父さんが共犯になって
同罪で捕まる危険性があるって事だって事にも今回はじめて気づかされた。
そして、30歳を過ぎても尚
「帰る家はない」と怒鳴り蹴散らされる事もある事を知った。
しょうがないのでワンマン電車にのって山形駅まで行き
そこから不味いラーメン屋でなんか違う説に追い打ちをかけて
たいしたお土産も見る事もなく、理恵は東京へ帰って行くのだった。
この後私は10日間に渡って遠征合宿に耐える事になるのですが、
大学を卒業して以来こんなに長く故郷に帰ったのは初めてて、
家族と一緒に暮らしていく事の大変さを見にして感じたのでした。
理恵ちゃんが実家に遊びに来てくれなかったら
お父さんが母音占いできる事も知らないままだったし、
お母さんが私の命よりどっちかっていうと仕事優先だったって事も知る事はなかったし、
志保は置いといてもお姉ちゃんに気遣いが必要である事を知ったし、
ある意味、いろんな事が変わっていくこのタイミングで
里帰りができた事がとっても良かったなって、そう思います。
特快回顧録おわり。